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作家プロフィール

Ryusei Kishida

岸田 劉生

出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム
岸田劉生《麗子微笑》1921年(東京国立博物館所蔵)

1891年東京生まれ。17歳から白馬会葵橋洋画研究所で黒田清輝に学び、雑誌『白樺』を通してゴッホやセザンヌら後期印象派の影響を受けた。
1912年にヒュウザン会、1915年には草土社を結成し、北方ルネサンスを思わせる緻密で重厚な写実表現を追究。「草土社」とは、劉生の作品「赤土と草」(1915 年6 月18 日、浜松市美術館蔵)から着想を得て名づけられた。やがて宋元画や初期肉筆浮世絵にも惹かれ、西洋絵画の写実と東洋の美意識を融合させた独自の画境を築いた。
風景画や静物画、肖像画に優れ、とりわけ愛娘を描いた一連の「麗子像」は、対象の外貌を超えて内面と存在の神秘に迫る代表作として知られる。絵画のみならず、日記、随筆、批評にも才能を示し、38年の短い生涯ながら日本近代美術に鮮烈な足跡を残した。

略歴

1891年
明治文明開化時代の知識人である岸田吟香と妻の勝子の第九子として生まれる。
劉生付の乳母は絵心があって、劉生に教えていたと言われる。
東京高等師範学校付属小・中学校に通いながら、中学時代から独学で絵画を学ぶ。
1905年
父の死をきっかけに、翌年キリスト教に入信し洗礼を受け、熱心な信者となる。
1908年
白馬会葵橋洋画研究所に入り、黒田清輝に師事しながら外光派の表現を会得。
1911年
この頃から文芸誌・美術雑誌『白樺』を愛読し始める。
翌年には白樺派の武者小路実篤や柳宗悦、英国の陶芸家バーナード・リーチらと交友を重ねる。
後期印象派の画家たち、特にセザンヌやゴッホに絶大な影響を受けた。
1912年
詩人・高村光太郎、画家の萬鉄五郎らとヒュウザン会を結成。
第1回ヒュウザン会展へ14 点を出品、これが画壇への本格的なデビューとなる。
1913年
同会の解散や小林蓁との婚姻を経て、ルネサンス芸術やバロック様式などの絵画、デューラーの表現手法に感化される。
作品から写実的表現への傾倒が顕著に表れる。
1914年
長女・麗子誕生。中川一政、椿貞雄を知る。
1915年
現代の美術社主催第1 回美術展(第2回展以降の名称は「草土社展」)に出品する。
1917年
結核を疑われ、友人の武者小路実篤の住む神奈川県藤沢町鵠沼の貸別荘にて療養。
1918年
娘・麗子をモデルとした最初の作品『麗子五歳之像(麗子肖像)』を完成させる。
1921年
長唄を習い、浮世絵にも魅かれ、次第に「伝統的な日本の美」にのめり込む。
1923年
関東大震災で自宅が倒壊し、京都に転居し後に鎌倉に居住。
劉生の京都移住に伴い、草土社は自然解散の形になったが、劉生を含めメンバーの多くは春陽会に活動の場を移した。
1929年
生涯一度の海外(大連・奉天・ハルビン)へ旅立つが、帰国後に滞在先の山口県徳山で胃潰瘍と尿毒症を併発、
同地で死去。享年38歳。