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作家プロフィール

Kinosuke Ebihara

海老原 喜之助

海老原の斬新な造形・色彩的センスは、藤田嗣治を恩師とした10年余りの渡欧の中で磨かれていった。
清新で透明感のある青は「エビハラブルー」と呼ばれ、フランスで高い評価を得た。
帰国後は形と色の単純化を追求し、メリハリの効いた造形と鮮烈な色彩で独自のスタイルを確立。
国内外で高い評価を得ると同時に、“九州の大統領” とも呼ばれたカリスマ的な人物像も語り継がれている。

略歴

1904年
鹿児島市住吉町に生まれる。幼い頃より馬を好む。
1922年
吉井淳二と共に上京。川端画学校、アテネフランセに学ぶ。
有島生馬に師事する。古賀春江、中川紀元らと交友する。
1923年
渡仏し、藤田嗣治に師事。隣のアトリエに居住。
1924年
サロン・ドートンヌに入選。以後、サロン・ドートンヌ、アンデパンダン展に出品。
1927年
画商アンリ・ピエール・ロッシェと契約する。
パリ在住のベルギー女性、アリス・エロジー・ベッケと結婚。
1930年
雪景シリーズを描き、その美しい青の色調が「エビハラブルー」と称賛され、 パリ画壇でいっそう高い評価を得る。
1935年
独立美術協会会員となる。
1945年
疎開先の熊本で終戦を迎える。
1951年
海老原美術研究所を熊本に創設。
1954年
海老原喜之助自選展を熊本にて開催。
1956年
第一回グッゲンハイム国際美術賞展に「船を造る人」を出品。
1960年
第五回日本国際美術展出品の「蝶」により、第一回毎日芸術賞を受賞。
神奈川県逗子市に転居する。
1962年
朝井閑右衛門、鳥海青児、林武らと国際形象展を組織する。
1967年
再渡仏。
1968年
滞在中のパリで藤田嗣治の臨終に立ち会う。ランス大聖堂での葬儀のおり、 君代未亡人に代わり謝辞を述る。
1970年
第七回太陽展に「サーカス」を出品。最後の発表となる。
九月、滞在中のパリにて病没。 享年66歳。