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Sotaro Yasui

安井 曾太郎

京都府京都市生まれ。
浅井忠、鹿子木孟郎らに学ぶ。19歳で渡欧、アカデミージュリアンにて学ぶ。ヨーロッパ周遊中にセザンヌから最も強い影響を受け、独自に研究を重ねた。
帰国後、二科展での滞欧作の展示が大きな反響を呼び、安井曽太郎の名が広く知れ渡った。
その画風は、写実を根底にした大胆なデフォルメと、たっぷりとした線と鮮やかな色使いで描かれる。対象の本質的な要素を、緊密な絵画的秩序のもとに描きだす理知的なレアリスムは日本の油彩画の成熟期を築いた。生み出された独自の様式は「安井様式」と呼ばれ、梅原隆三郎と日本洋画の双璧をなす存在となった。

略歴

1888年
京都市中京区の木綿問屋安井商店の五男として生まれる。
1903年
京都市立商業学校を中退し、同校の図画教師であった平清水亮太朗の家に通って一年余りデッサンや水彩画を学ぶ。
1904年
聖護院洋画研究所入門。浅井忠、鹿子木孟郎らに指導を受ける。
1907年
渡欧。アカデミージュリアンに入学し、ジャン・ポール・ローランスに師事。
1912年
5月ヴェントイユ、夏イギリス、オランダ、ベルギーに、秋スペインに旅行。
1914年
第一次世界大戦勃発と病気のため帰国。
1915年
第二回二科展に滞欧作44点を特別展示。一大センセーションを起こし一躍画壇の花形となる。
1917年
津田青楓夫妻の媒酌で水野はまと結婚。
1934年
新宿区下落合に自宅・アトリエを新築して転居。
1935年
帝国美術院会員に任命され二科会会員を辞す。
1936年
有島生馬、石井柏亭、山下新太郎らとともに一水会を創立。
1938年
中耳炎を患った後、静養のため上高地に滞在、風景画の連作を制作する。
1944年
梅原龍三郎と共に東京美術学校教授に就任。
1949年
日本美術科連盟が設立されて初代会長に推される。
1950年
この年から『文藝春秋』の表紙絵を制作する。
1952年
東京芸術大学教授を辞任。11月、梅原龍三郎と共に文化勲章を受章。
1955年
12月14日逝去。 享年67歳。
1956年
ブリジストン美術館と国立近代美術館で安井曾太郎遺作展が開催される。12万人以上の入場者を数え、その純益金で、(財) 安井曾太郎記念会が新設され、翌年からその主要事業として「安井賞展」が始まる(1997年終了)。