ARTISTS
作家プロフィール
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作家プロフィール
Yasuo Kuniyoshi
国吉 康雄
1889年岡山県生まれ。
17歳の時に冒険と幸運を求めて単身でアメリカへ渡り、以降アメリカで活動をするようになる。
混沌とした時代、移民である自身の孤独を投影したような憂いを含んだ孤独感を漂わせる女性像で、アメリカ画壇での高い評価を確立した。
アート・スチューデンツ・リーグの教授として、また、アメリカ芸術家組合の初代会長に選出されるなど活躍を見せるが、大戦下の日米の間で最も日本人という事を意識させられた画家であった。
略歴
1889年
岡山市に生まれる。
1906年
17歳。岡山県立工業高校を中途退学して単身アメリカに渡る。
頼れる友人もなく言葉も不自由だった国吉は、シアトルで清掃業をしながらミッションスクールで英語を習う。
頼れる友人もなく言葉も不自由だった国吉は、シアトルで清掃業をしながらミッションスクールで英語を習う。
1907年
学校の教師から画家になることを勧められ、ロサンゼルス・スクール・オブ・アート・アンド・デザインに三年間通う。
1910年
ニューヨークに移り、やがてインディペンデント・スクール・オブ・アーツを経て、アート・スチューデント・リーグに学ぶ。そこで後にホイットニー美術館館長となるロイド・グリニッチや清水登之らと親交を結ぶ。
1921年
ニューヨークのダニエル画廊で初個展。
1929年
ニューヨーク近代美術館「十九人の現存アメリカ画家展」に出品。
1931年
父親の見舞いの為に帰国。マスコミをはじめとする盛大な歓迎を受ける。
1933年
アート・スチューデンツ・リーグ教授に就任、没年まで20年間同校で教鞭をとる。
ダウンタウン画廊で発表を行うとともに、数多くのグループ展に参加。
ダウンタウン画廊で発表を行うとともに、数多くのグループ展に参加。
1944年
それまで市民権がないという理由で出品できないこともあったが、「合衆国の絵画 一九九四展」で一等賞を受ける。
1947年
新たに結成されたアメリカ芸術家組合の初代会長に選出。
1948年
ホイットニー美術館にて回顧展を開催。開館以来、初の現役作家の個展となる。
1953年
移民帰化法が1952年に成立し、国吉もようやく市民権を取得することが可能になったが、その手続きが完了しないうちに胃癌のため亡くなる。
没後、ニューヨーク近代美術館で追悼展が、翌年には東京近代美術館で遺作展が開催された。
没後、ニューヨーク近代美術館で追悼展が、翌年には東京近代美術館で遺作展が開催された。