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作家プロフィール

Yuzo Saeki

佐伯 祐三

1898年大阪生まれ。
赤松麟作、藤島武二に学び、1918年東京美術学校へ入学。
25歳で妻子ともにフランスへ渡る。
その際、ヴラマンクにこれまでの画風を厳しく批判され、フォーヴィズムへと画風を変化さ
せていく。また、ユトリロの叙情的な作風からも感化を受けた。
重厚な筆致でパリの街並を盛んに描いた佐伯は、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れるなど、独自の作風を確立していった。
30歳という若さでこの世を去るまで、燃えるような激しい情熱で傑作を生み出した。

略歴

1898年
4月28日、大阪府中津村の光徳寺に生まれる。
1912年
大阪府立北野中学校に入学。
1915年
北野中学校4年生の頃から油絵を描き始め、梅田にあった赤松麟作が指導する画塾に通う。
1917年
北野中学校を卒業。
9月、上京して川端画学学校洋画部に入り、藤島武二の指導を受ける。ここで生涯親交の続いた山田新一を知る。
1918年
東京美術学校西洋画科予備科に入学。9月、本科一年に進級。
1920年
池田米子と結婚。
東京府下落合にアトリエを新築して住む。
1921年
弟祐明が肺結核の為死去(20歳)。
佐伯もこの頃から喀血していたとも言われる。病気の為、美術学校を三ヶ月休学。
1922年
長女弥智子生まれる。
丘続きに澄む中村(なかむら) 彝(つね) の結核に病む晩年を見つめていた。
1923年
東京美術学校西洋画科を卒業。
同級生7人と薔薇門社を結成し、5月第一回展を開く。
11月下旬、米子、弥智子を伴い神戸港より渡欧。
1924年
パリに到着。
アカデミー・ド・ラ・グランド・ショーミエールの自由科に通う。
夏、ヴラマンクを訪ねるが、「アカデミスム!」という怒号を受ける。
パリ市内のアトリエに引っ越す。
1925年
ロンドンのセツルメントを視察する目的で兄祐正がパリに立ち寄り、母からの要請で帰国を促す。
サロン・ドートンヌに『コルドヌリ』、『煉瓦屋』が入選。
1926年
兄とイタリアを旅行し、帰国。下落合のアトリエに戻る。
里見勝蔵ら5人で「1930年協会」を結成し、第1回展を開く。
1927年
シベリア経由で渡欧し、9月上旬、パリ到着。
サロン・ドートンヌ25年記念展(審査委員長キスリング)に『新聞屋』と『広告のある家』を出品し入選。
1928年
荻須高徳らとヴェリエ・シュル・モランとサン・ジェルマン・シュル・モランに写生旅行し、 二十数日漢滞在。再び造形への疑問が高まる。
小雨の中での写生がもとで風邪を悪化させ、病床に伏す。『郵便配達夫』『ロシアの少女』を制作後、喀血。肺結核の進行に神経衰弱も加わり、失踪事件を起こし、セーヌ県立エブラール精神病院に入院。弥智子も結核が感染して悪化する。
8月16日同病院で死去。享年30歳。同30 日、弥智子も死去(6歳)。