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ART TAIPEI 2016 梅原龍三郎 x 山田啓貴 / 堂本印象 x 山本雄教



Ryuzaburo UMEHARA (1888-1986)
1888 Born in a Kimono business family in Kyoto
1903 Studied under Chu Asai at Kansai Art School
1908 Studied in France in the BASSAE Atelier of Académie Julien
1909 Visited Cagnes to meet Renoir, and studied with him
1934 Visited Taiwan as judge for Taiwan Art Exhibition (~1936)
1944 Professor of Tokyo University of Arts.
1952 Honoured with the Japanese Order of Cultural Merit


1888年 3月9日生於京都市下京區的和服商家庭。
1903年 從京都府第二中學退學後,跟隨伊藤快彥及淺井忠學習西洋
繪畫。
1908年 與田中喜作共同赴法,於朱利安學院巴塞教室學習時為雷
諾瓦所傾倒。
1909年 獨自訪問位於卡涅的雷諾瓦住所,此後師從雷諾瓦學習。
1913年 回國。在白樺派於神田維納斯俱樂部舉辦的個展中發表了
『項鍊』等110件在歐作品,受到矚目。
1914年 參與創立二科會(1918年退會)。
1920年 再次赴法。次年回國。
1922年 與小杉放蓭一同結成春陽會。
1925年 從春陽會退會。
與川島理一郎一同於國畫創作協會內設立西洋畫部門。
1933年 首次赴台。於1934年至1936年間擔任台展審查員。
1935年 就任帝國美術院會員(1957年辭任)
1944年 任職東京美術學校教授(至1952年)。
1952年 獲頒日本政府文化勳章。
1986年 逝於東京。

Insho DOMOTO (1891-1975)
1891 Born in Kyoto, Japan
1910 Kyoto Municipal Painting College Graduate Course
1961 Honoured with the Japanese Order of Cultural Merit
1963 Honoured with the Knight Commander with Emblem,
the Papal Order of St.Sylvester
1966 Estavlished the Domoto Museum of Fine Art in Kyoto
1959 Group show “Metaphorphismes”, Paris
1960 Group show “Form Structur Bedeutung”,Munchen
1961 Exposition Retrospective, Turin
Wall Screen and Ceiling Paintings: Daitoku-ji, Tofuku-ji, Koyasan,
Kozan-ji etc. (UNESCO World Heritage)
“~D’UN ARTISTE HAUTEMENT CIVILISE” by Michel Tapie
INSHO-DOMOTO MUSEUM OF FINE ARTS
http://insho-domoto.com/index-e.html

1891年 出生於京都。
1910年 於京都市立美術工藝學校畢業後,以描繪西陣織圖案為業。
1918年 立志成為日本畫家,入京都市立繪畫專門學校學習。
1919年 作品『深草』初次入選第1屆帝國美術展覽會(帝展)。
1921年 京都市立繪畫專門學校畢業。
1924年 京都市立繪畫專門學校畢業。
1922年 作品『調鞠圖』特別入選第3屆帝展。
1925年 作品『華嚴』於第6屆帝展獲得帝國美術院賞。
1933年 創立畫塾東丘社。
1936年 就任京都市立繪畫專門學校教授。
1944年 獲帝室技藝員任命。
1950年 成為日本藝術院會員。
1959年 於巴黎舉辦聯展。
1960年 於慕尼黑舉辦聯展。
1961年 獲頒文化勳章。於都靈舉辦回顧展。
1963年 獲教皇聖約翰23世頒發聖西爾維斯特文化第一勳章。
1966年 獨自設計的堂本美術館開館。
1975年 9月逝世。享年83歲。

※曾於大德寺,東福寺,高野山,高山寺等多處聯合國科教文組織認定
文化遺產中製作障壁畫。~

山田 啓貴  Keiki YAMADA

1978 北海道苫小牧市生まれ
2002 多摩美術大学美術学部絵画学科油画専攻卒業
2004 多摩美術大学大学院美術研究科修了

1978 Born in Tomakomai, Hokkaido, Japan
2002 B.F.A. Painting, Tama Art University, Japan
2004 M.F.A. Painting, Tama Art University, Japan

1978 生於北海道苫小牧市
2002 多摩美術大學美術學院繪畫學系主修油畫畢業
2004 多摩美術大學研究所美術研究科修了

​海外主要出展歴
2012  2:46 and Thereafter (Edison Place Gallery, WashingtonD.C., ワシントンDC)
2012  It‘s ART O’CLOCK(CNIT Paris La Défens/ Gallery Coexist Tokyoブース, パリ)
2013  Dandans, a collective of emerging Japanese artists
(Browse & Darby Gallery, ロンドン)
2014  “Thinking of ENERGY” from the experience of FUKUSHIMA
(ドイツ外務省, ベルリン)
2015  Dandans – Une nouvelle génération d‘artistes Japonais (Galerie BOA, パリ)
2015  日本の次世代アーティストによるパリ展 (パリ日本文化会館, パリ)
2015  -存在と記憶- アート台北2015(台北世界貿易中心展覧大楼一館, 台北)

山本 雄教  Yukyo YAMAMOTO

1988 京都府出身
2010 成安造形大学 日本画クラス卒業
2011 成安造形大学 研究生修了
2013 京都造形芸術大学大学院修士課程修了

1988 Born in Kyoto, Japan
2010 B.F.A. Japanese Painting, Seian University of Arts and Design, Japan
2011 Research student program, Seian University of Arts and Design
2013 M.F.A. Painting, Kyoto University of Arts and Design, Japan

1988 出生於京都府。
2010 畢業於成安造型大學日本畫班
2011 成安造型大學研究生項目修習
2013 畢業於京都造型藝術大學大學院碩士課程


​主要受賞歴

2013 「京都府美術工芸新鋭展 2012京都美術・工芸ビエンナーレ」公募部門大賞
(京都文化博物館)
「美術新人賞デビュー2013」準グランプリ(ギャラリー和田・フジヰ画廊/
東京)
2014 「TERRADA ART AWARD」優秀賞(T-Art Gallery/東京)
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【会期】
Super VIPプレビュー
11月11日(金)12:00~21:00
VIPプレビュー
11月11日(金)15:00~21:00
オープニングパーティー
11月11日(金)18:20~21:00
一般公開
11月12日(土)11:00~19:00
11月13日(日)11:00~19:00
11月14日(月)11:00~19:00
11月15日(火)11:00~18:00(※最終入場は17:00まで)
【会場】台北世界貿易中心展覧大楼一館 ブース№ I9
【住所】 台湾台北市信義区信義路五段5号
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Super VIP Preview
12:00-21:00 November 11 (Fri.)
VIP Preview
15:00-21:00 November 11 (Fri.)
Vernissage
18:20-21:00 November 11 (Fri.)
Public Opening
11:00-19:00 November 12-14 (Sat. – Mon.)
11:00-18:00 November 15 (Tue.)( ※Last entry before 17:00 )

【Venue】Booth NO. I9 Taipei World Trade Center Exhibition Hall 1
【Address】エNO.5, Hsin-Yi Rd., Sec 5, Taipei City 11011, Taiwan, R.O.C
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尊榮貴賓預展
11月11日(五) 12:00-21:00
貴賓預展
11月11日(五) 15:00-21:00
開幕酒會
11月11日(五) 18:30-21:00
公眾展期
11月12日(六)-14日(一) 11:00-19:00
11月15日(二) 11:00-18:00(※最後入場時間:17:00)

【展館】台北世界貿易中心一館
【地址】I9展室 台灣台北市信義區信義路五段5號
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【展示主旨】

梅原龍三郎 / 梅原龍三郎 / Ryuzaburo UMEHARA

豊麗かつ豪胆な梅原の美と作家の存在そのものは、国境を越え、アジアの貴重な近代美術として、国内外から改めて注目が集まっています。
ルノワールとの邂逅、ピカソとの生涯にわたる交流、日本における近代洋画の金字塔としての存在、何より薔薇や裸婦、北京、富士や浅間山など
各モチーフにおける飛び抜けて質の高い作品群など、梅原の魅力と面白さは多岐にわたり尽きるところがありません。
今回は、梅原の画業の集大成ともいえる晩年の作品から、豊麗な薔薇を展示いたします。
作為畫家之梅原龍三郎本人及其超越國境的豐潤艷麗、充滿豪情的藝術之美,作為亞洲近代美術的重要一環,受到來自日本國內外的廣泛矚目。
於其藝術生涯中,其與雷諾瓦的邂逅,與畢加索的終身交流,於日本近代油畫中處於金字塔尖的藝術地位,由其是以其著名的薔薇、裸婦、北京、富
士山及淺間山等意象為主體的高質量作品群等等,梅原的藝術魅力與趣韻是無窮無盡的。
今次,我們從梅原晚年的集大成作品群中,選擇了最艷麗的薔薇,以饗好者。

Umehara’s legacy as an artist and his rich, fearless artistic expression is once again drawing attention from around the globe as a precious example of modern art of the Far East. From his encounter with Renoir, lifelong friendship with Picasso, and monumental
presence in modern Japanese Western art to his exceptional works of roses, nudes, landscapes of Beijing, Mt. Fuji and Mt. Asama,
Umehara does not cease to fascinate us all.
For this exhibition at Art Taipei, we have selected a painting of splendid roses from his rich collection of later works.



堂本印象 / 堂本印象 / Insho DOMOTO

堂本印象の抽象作品は、京都や高野山の世界遺産の数々に制作した壁画や仏画を経て生み出され、伝統の基盤の上に、洗練とテーマを持った
新たな抽象表現を切り拓きました。その質の高さは、アントニ・タピエスも言葉を尽くして称賛しています。また、アンフォルメル運動に参加した甥の堂本尚郎をパリに連れて行っ作家としても改めて注目されています。
今回は、美術市場で大変貴重な抽象作品を展示いたします。

堂本印象的抽象畫作品成型於其在京都及高野山等眾多世界遺產內創作的壁畫與佛畫,並於傳統繪畫之基礎上,開拓了洗練且充滿主題性的新抽象
表現。其藝術質量之高,連安東尼·塔皮埃斯亦不禁讚歎。此外,堂本亦因作為其後參與了非形象藝術運動的外甥堂本尚郎首次進入巴黎藝術圈的領
路人而備受矚目。
今次,我們將展出日常罕見的堂本的抽象畫作。
Insho Domoto’s experience creating murals and Buddhist paintings for numerous world heritage sites in Kyoto and Koyasan enabled
him to pioneer abstract art with theme and sophistication on top of a traditional foundation. Antoni Tàpies was one to highly praise his work’s exceptional quality. Domoto is also now being noticed for being the first person to take his nephew, Art Informel artist Hisao
Domoto, to Paris.
For this exhibition we have one of his abstract works which are very rare and valuable on the market.


山田啓貴 / 山田啟貴 / Keiki YAMADA

近年の国内外でのアートフェア、ギャラリー、パブリックスペースなどでの度重なる展示と評価は、作家の制作の新たな原動力となり、ます
ます充実した作品を生み出しています。対象に素直に、しかしまっすぐ深く追求してゆくスタイルは、絵画表現がこれからも進んでゆくであろう
本道です。
充実した新作の小品約30点に加え、大作も展示する初の試みです。近代の金字塔・梅原の薔薇に対しどれだけ存在感を放つことができるか楽
しみです。

山田的畫作於近年日本國內外之藝術博覽會,畫廊及公共藝術空間的展出中受到的正面評價成為藝術家創作之新原動力,由此創作出更為豐富的
畫作。其對描繪對象的直接且深入的探求,成就了山田繪畫作品的獨特風格,以及藝術家其後真正的藝術道路。
今次,我們初次嘗試以約30幅種類豐富的新作小品與大作的對比,以及與位於日本近代油畫金字塔尖的梅原的薔薇之二重對比展示,體現山田作
品與梅原作品相比亦毫不遜色之存在感。


Yamada’s cumulative exhibitions and positive appraisal at art fairs, galleries and public spaces at home and abroad have empowered
him to take his art substantially further. His unchanging sincerity and deep observation of his subjects is a style he will continue to pursue.
For the first time we will show one of his large works alongside a rich collection of thirty new smaller paintings. It will be interesting to see how he stands up to the splendor of modern master Umehara’s roses.


山本雄教 / 山本雄教 / Yukyo YAMAMOTO​
国内外でのフェアやギャラリー、美術館で徐々に定位置を占め始めた山本雄教。riceシリーズやブルーシートシリーズなど、得意とする数ある
表現様式の中から、今回は1円玉のフロッタージュに絞った展示を行います。紙を載せて鉛筆等でこすりだすフロッタージュ技法は、1円玉の持
つ質感とともに、誰しもがまずその感触を思い出すのではないでしょうか。そしてこの技法で描き出されるのは、1ドル札をはじめとする世界各
国の紙幣。作品が大きくなればなるほど多くの1円玉を必要としますが、1円玉=ドットが多くなる分、紙幣は鮮明になります。これはまさしく
通貨の相関関係そのものであり、「財布に入った一円玉、そんなすぐそこにあるものこそが、実際はあらゆるものにつながっている」という作家
の世界観そのものです。そしてこれらの作品は、白黒の階調により洗練された画面となり楽しませてくれます。
至峰堂画廊による初めての山本雄教作品のご紹介を、堂本印象の墨との対比でご覧ください。
山本雄教之作品在日本國內外的藝術博覽會,畫廊以及美術館中已逐漸佔有一席之地。於其特色的米系列,藍屏障系列等多樣系列作品中,我們今次選擇了以1日元硬幣的拓描為主體的硬幣系列展出。於硬幣上覆紙,以鉛筆等擦畫拓印技法,從一日元硬幣特有的質感中,帶給觀者別樣的感觸。
以此技法所描繪的如1美元紙幣等世界各國的紙幣,作品面積越大,則需要越多1日元硬幣。以1日元硬幣為點,點越多,則紙幣越鮮 明:正如一般貨幣兌換關係之映照。正如山本作品的世界觀:『在錢包中的1日元硬幣,正因為其無處不在,稀疏平常,實際上才會於 萬事萬物相連。』而此系列作品,則因其洗練的黑白畫面而更添趣韻。
至峰堂畫廊首次為台灣帶來山本雄教的藝術作品,請對比著堂本印象的墨韻,慢慢析賞。


Yukyo Yamamoto has gradually gained position now at art fairs, galleries and museums abroad. From his array of styles including his “rice” series and blue sheet series, for this occasion we have chosen to concentrate on his one yen coin frottages. Frottage, where a
piece of paper placed on an uneven surface is rubbed with a utensil such as a pencil, adeptly helps us recall the substance and texture of
the coin. Frottages depicting bank notes such as the US dollar bill require more coins as the picture gets larger, which subsequently means that the more yen coins/dots, the higher the definition. This essentially expresses the correlation of currency, and the artist’s view
of little items in everyday life being connected with numerous things, whether that item be a one yen coin sitting in your wallet.
For the Shihodo Gallery’s first exhibition of Yukyo Yamamoto, we would like you to enjoy the refined gradation of black and white against the black ink of Insho Domoto.






【堂本印象について】

高度の文明をもつ芸術家   ミシェル タピエ ド セレイラン
画家が、独創力と、非常に深い伝統をもつ素質の調整との出会いによって、作品を描くということは、20世紀では極めてめずらしいのであるが、この二つの出会いを母体として画境が発展し、型破りの作家が生まれ、完全な作品が、多彩な花びらをつけた花となって咲く。美術史のなかでは、こう云った芸術家がみられるのは普通のことであるが、混乱のひどい今日の時代に現われ、かってのよき混乱の時代と変らなく、われわれに生命をあたえてくれるのは、それこそ型破りの例外である。堂本印象先生は、世界的な段階において、それらの各条件を見事に実現している偉大な芸術家の一人である。

印象先生の作品は、たとえば、絵を描くという制作活動が目標でなく(アクション・ペインティングの場合と同じように)、またそれが終局の目的でもなく、先生の身についている数多い表現手段のうちの一つである。すなわち、根深い独創力をもつ芸術家は、創造性のとぼしい作家の一時的な思いつきとは正反対に、すべての試みを、栄誉ある王座につけるのである―ちょうど、偉大な人物たちが、彼らの全業績を、長期にわたるすばらしい文明の歴史に加えるように。完全な芸術家は、頽廃(デカダンス)のなかにも芸術のメッセージの充実をみることができるので、頽廃についてとやかく云うのは、むしろはなはだしい無知である。

西洋の各国では、まちがった前衛派が非常に俗悪な芸術(比較=ポップ・アートそのほかニュー・リアリズム)をつくり出しているが、日本は、伝統の技術を必要なだけ現代に適応させ、まちがった前衛派の煽動にのることがなく、“生命のある芸術”を正しく守っているのであって、この“生命のある芸術”の名にふさわしい芸術家とその作品は、動かすことのできない真の段階において、おのずから高い位置を占めるのである。そして、これはまことに当然のことである。なぜならば、われわれは、絶えずこの種の芸術家がすくないのを悲しむ嘆声をあげさせられ、独創力のある芸術家は、このわれわれの高価な嘆声のとどかない、遥か高い位置におるのだから。

わたしが、型破りの特性をもつ印象先生の物の考え方に私淑し、先生の芸術に学び、美学を発展させるために、基本的な判断となる非常に多くの教えをうけるようになって、まもなく10年になるが、わたしは、今なお先生に私淑し、教えられるのである。

まず第一は、芸術の魔術は、すべての魔術と同じように、深い沈黙を条件にして成り立つことである。(そして、悲しいことには、多くの芸術家が、この必要な条件を忘れている……)。つぎは、芸術作品は、完全な自由をもって創作しなくてはならないことである。(これも絶対に必要な条件であるが、もちろん、これだけでは充分でない)。完全な自由は、芸術家自身が、それを、完全に支配し調整していなくてはならないのである。これが無かったなら、いわゆるオートマティズムのアカデミズムに落ちいるのである。最後に、作品のメッセージが、解放された創造力をもち、最高の洗練とイデーの完全な統制に熟達し、独自の発言をすることである。

印象先生は、最も自由に、そしてまた最もゆたかに言語を造型し、それらのことごとくをわたしに教えているのである。それは、完璧に完成された芸術である。つまり、完璧な芸術のエッセンスそのものである。(1965年1月)(フランス美術評論家)
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「堂本印象」(堂本四郎編,京都書院,1965年)91頁所載

擁有高度文明的藝術家   米歇爾・塔皮埃・賽勒冉
畫家以其本身所在的深厚文化傳統與自身獨創力之融合而創造出作品,這樣的例子在20世紀已經極其稀少了。雖然如此,唯有以此二者之融合為母體,使自身之藝術打破常規,常有變化至趨於化境,猶如多彩之鮮花盛放,才可被稱為完美的藝術家。在美術史上,像這樣的畫家多不勝數,而現如今於此混亂魍魎之世橫空出現,獨卓於時代而使世人瞬感生命之歡欣者,才是打破常規的藝術家中之極致。而堂本印象先生,則正是實現了以上所有條件的,世界上偉大藝術家群落中的一人。

印象先生之作品繪畫創作活動本身並非其目標(如美國行動繪畫派所做的),亦並非其最終目的,乃是先生自身所持的多種藝術表現手段之一。換言之,擁有自身獨創力的藝術家,其與缺乏創造性的藝術家們身上常見的一時興起正好相反——其所有嘗試,皆為其加冕榮譽的王座之必經路途,正如所有的偉人們,他們自身之功績長久庇佑著燦爛的歷史與文明。因此,完美的藝術家即使於頹廢藝術中亦可充分地感知到藝術的氣息。而對頹廢藝術之批判,則具現常人之無知。

在西方各國,錯誤的所謂前衛派創造出惡俗的藝術(比較波普藝術及新現實主義藝術),而在日本,藝術家只在傳統技術中汲取必須之元素並使其與現代相適應,並拒絕來自錯誤的前衛派藝術的煽動,因而正確地守護了『充溢生命之藝術』。而與『充溢生命之藝術』之名相稱的藝術家及其藝術作品,正無可拒絕地穩立於高地,不動如山。我們不停悲嘆此類藝術家之珍稀罕見,而擁有獨創力的此類藝術家,卻往往站在常人無法企及的山峰之巔。

我仰慕創造出打破常規的藝術的印象先生,仰慕其對世界萬物之思考。為了學習先生之藝術,發展先生之美學,我聆聽了先生的許多基本的教誨。即使經過了十年之久,如今之我仍然充滿了對先生的仰慕之情,同時亦不斷學習著先生之誨訓。
首先,我們需知道關於藝術的魔法,與其他所有的魔法相同,其完成皆需要極其深沉的靜默(可悲的是,有許多藝術家已經忘記了這個必要條件……)。其次,只有擁有完全之自由,才可創造出完美的藝術作品(當然,這是絕對必要,卻非充分條件)。藝術家必須可以支配完全的自由,並完成其與自身之融合。如果沒有了完全的自由,藝術家將會墮落為機械的學院派。最後,藝術作品中所蘊含的信息亦需要藝術家創造力的解放,以期藝術理念的統一及達到極致的洗練的藝術形式,才可真正獨立地發出自身之聲音。

印象先生的聲音是極度自由與豐盛的,這於他的造型藝術中不難感知。他的藝術形態已完美成型,其藝術作品亦可謂之其完美的藝術形態的精華所在。(1965年1月)(法國美術評論家)


『堂本印象』(堂本四郎編著,京都書院,1965年)第91頁


An artist with advanced civilization   by Michel Tapie de Celeyran
In the 20th century, it is exceptionally rare for an artist to create his/her art drawing from a marriage of ingenuity and deep observation of tradition. When these traits are combined, they give birth to new artistic horizons, see the coming of ground-breaking artists, and artistic perfection flourishes in all it’s colourful glory. In the history of art it is commonplace to find such artists, but in these days of devastating confusion, to provide us with the elixir of life as if in the days of better confusion, is truly extraordinary. Mr. Insho Domoto is an exceptional artist who deftly accomplishes all on a worldly scale.
In Mr. Insho’s art, the course of painting itself is not an objective (as is in action painting), and the art is not a final objective in itself but is an example of the many expressive techniques which he is master of. Unlike the tentative ideas of those lacking originality, artists with profound originality are able to levitate their every single experiment to the glory of throne-worthy heights, as do all historical giants carve their legacies in the lines of civilization. Artists of perfection are capable of conveying artistic messages even in decadence, so criticizing the decadence itself would be a show of profound ignorance.
In the Western world, false avant-gardists are creating hideous art (such as the likes of pop art and new realism), whereas in Japan traditional techniques are adequately adapted to modern times, the instigations of false avant-gardists go unheeded, and ‘art with life’ is properly sustained. Artists and their art worthy of the title of ‘art with life’ sustain in their unmoving sincerity their superior positions. There is no doubt about this as we are constantly made to grieve the lack of such substantial artists, and those such artists themselves sit in a place far above the reaches of our dismal cries.
It is now ten years since I started to idolize the characteristically unconventional thoughts of Mr. Insho. At the same time I have learn from his art, and have gained from his teachings many touchstones in the advancement of aesthetics, and I still continue to learn from and idolize him to this day.
First of all, the magic of art -like all other magic- requires deep silence in which to proceed (and sadly many artists forget this critical factor). Secondly, art must be created with total and complete liberty (this also is critical of creation but is not enough on it’s own). Artists must take full control of and manipulate that freedom. Without control, art is reduced to being dependent on the academism of automatism. Last of all, art must have a message with it’s own prospective ingenuity, must accomplish the highest refinement and complete discipline of idee, and must have a voice of it’s own.
Mr. Insho teaches me all of this in his most free and flowing abundance of words. This is the perfection of art – the essence of perfect art itself. (French art critic, January 1965)
​​

​ Domoto, Shiro. Domoto Insho. Kyoto: Kyoto Shoin. 1965. P.91